経営者の父と向き合おうとする、前段階

私は中小企業のゆりかごから墓場まで支援できるようになりたい、

そう思ってキャリアをスタートさせました。

 

幼少期の体験が刷り込まれているような気がする。

 

目の前で商売している姿が当たり前で、

お客さんの往来があり、

仲の良い職人さんや近所のおじちゃんおばちゃんたちが

ちょっとお茶飲んで帰っていく。

 

夜は夜で、問屋さんが夕飯を食べて泊まってから新潟へ帰っていく(または関東で営業していく)、

取引先の人が親父と酒を酌み交わし、

難しくも和やかに食事をする。

昔からの友人の場合は賑やか過ぎて、絡んでくるから子供ながらに勘弁して欲しかった。

 

 

そんな日常風景が小学生くらいから「他の家とは違うのだ」ということを理解し、意識し始めた。

 

「家を継ぐことが将来の夢だ!あと、大工さん」これが1.2年生くらいのことだったと思う。

 

高学年に近づくにつれて恥ずかしさも出てきたけれど、どこか胸の奥に仕舞い込むようになった。

 

つまり他の家との比較をすることで、

「普通と違う」「商売をしている」という違いが低学年のうちは誇らしかったのだ。

 

しかし、高学年になるにつれ、胸の奥にしまったのは恥ずかしさからだけではない。

 

「あれ、うちはそんなにお金がある家ではないのではないか」

「(当時はこの言葉は出なかったけど)儲かってないのではないか」

「なにかがおかしい、なにかが昔と少し変わっているような気がする」

 

そんな風に肌で変化を感じるようになっていった。

大人が発する「フケーキ」

その「フケーキ」の雰囲気を感じ取り、

明らかに両親の不仲を感じ取り、

家に来る人が少なくなっていった。

 

今でも強烈に覚えていることがある。

夏の夜、8時くらいだったと思う。

両親が明らかに神妙な面持ちでざわついている。

母親は「部屋に上がって寝てなさい」と促す。

※結局は気になって寝られず起きてきてしまったのだが。

 

昔馴染みの工務店さんが来ていて親父と話していた。

年は50くらいで、髪はくるくる、漫画家のぐわしっ!てやる人みたいな感じ。

 

工務店のおじさんが頭を下げ、神妙な顔をして話をしている。

 

さすがに会話の内容までは詳細に覚えていないが、

親父に諭されているようなそんな風景だった。

 

大の大人が申し訳なさそうに、

普段の賑やかな雰囲気とも違うシリアスな

その風景も印象的だったが、

もう一つ印象的だったのは帰り際だった。

 

帰り際、母親に向かっておじさんが謝ったのだ。

「ごめんなぁ〜、、、●●ちゃん(母親の名前)おれ頑張るから」そんなことを言っていた。

 

その姿が幼心にとても痛々しかったのだ。「大の大人が情けない」そういう印象だった。

 

しばらくして、

そのおじさんが夜逃げをした。

 

自転車でその人の家の近くを通ったけれど、もぬけの殻だった。

 

あの日のおじさん姿、

つまり、

母親に頭を下げて、

眉毛を八の字にして、

気まずそうにペコペコするおじさんのイメージが今も残っている。